【第9回】古代史のヒーローとその奥さん。すみだの地との不思議な関係とは?

地名には、いろいろと由来があります。隅田川と旧中川との間を東西に流れるのが、北十間川。この川沿いには、古代史のあのヒーローとその奥さんに関わりの深い地名やスポット名が広がっています。

まずは〝区外だけど意外に近い〟スポットへ

4月30日は、永井荷風さんの命日(今年で没後64年)。そんなきっかけもあり、荷風さんの作品集の中から久し振りに再読したのは、小説『冷笑』です。目にとまったのは、亀戸天神でくず餅を食べるシーン。「・・・三角形に切った大きな片(きれ)の二ツ三ツは成るたけ沢山黄粉と砂糖のついて居る処(ところ)を選んで続けて口の中に入れた・・・」。

読んでいると、思わず食べたくなってきます。この小説を連載執筆したとき、荷風さんは30歳になったばかり。若い頃から大の甘党だったことが偲ばれます。そんなわけで向かったのは、亀戸天神近くの「船橋屋」です。

船橋屋 亀戸天神前本店

▲蔵前橋通り沿いにある老舗「船橋屋 亀戸天神前本店」。藤棚の藤の花が見事です(撮影時期4月中旬)。

亀戸なのに「船橋」屋とは、初代店主(1805年創業)が下総国船橋の出身だったから。当時下総国の名産だった良質な小麦粉を原料にしたくず餅を考案。亀戸天神の参道で売り出したところ、たちまち参拝客の人気を得たそうです。

船橋屋 亀戸天神前本店

▲お店ホームページには「創業当時の面影を今も残す本店には、芥川龍之介、永井荷風、吉川英治ら文化人の方々もしばしば足を運ばれ、くず餅の素朴な味を堪能されていました」と掲載されています。

くず餅

▲「くず餅」(790円)には、お茶とスプーンが添えられます。こちらのくず餅は、無添加で自然発酵です。近ごろの発酵食品ブームを随分と昔から先取りしていたのかも。

ところで、このお店や亀戸天神があるのは江東区内。最寄りの亀戸駅からは、10分以上歩きます。私のおウチ(東京スカイツリーの近くです)から鉄道利用で亀戸駅にいくとなると、時間や乗換え手間がかなりかかりそう。

でも、地図でよく見ると意外と近い。実際に歩いても25分くらい。お天気で気持ちよく歩けて、折角なので亀戸天神にも立ち寄りました。

亀戸天神 後方の東京スカイツリー

▲参拝客でにぎわう亀戸天神。後方の東京スカイツリー、意外と近そうなのがわかります。

ここは、東京湾のはるか先に由緒のある地だった

その後、北十間川の福神橋を北に渡って墨田区へ。花王の大きな事業所と明治通りをはさんで反対側の一角にあるのが、吾嬬(あづま)神社です。

吾嬬の森

▲神社があるのは、参道から少し高台になったところ。鳥居の奥に見えるのは拝殿です。神社と周辺一帯は、かつて「吾嬬の森」と呼ばれていました。

吾嬬(あづま)神社

▲拝殿の奥に本殿があります(拝殿の先はフェンスで囲まれ、立ち入りできません)。1200年頃に社殿が造営されたという古い歴史があるようです。

ところで、この神社の主神は「弟橘姫(おとたちばなひめ)」です。古代史のヒーローの1人といわれる「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の妻で、神社内には日本武尊も祀られています(注)。
(注)この2人の漢字等表記には諸説があります。今回は、国立国会図書館サイト内の表記に基づきました。
https://www.ndl.go.jp/landmarks/sights/azumajinja/

『古事記』や『日本書紀』で有名ですが、日本武尊が東征の途中、走水(横須賀市の観音崎の近く)から船で上総(東京湾対岸の千葉県内)に向かったところ、海が大荒れ。同行していた妻が海に身を投げて暴風雨(海神の怒り)を鎮めたというエピソードがありました。夫を助けるために人身御供となって入水。心打たれて涙を誘う夫婦愛の神話でしたね。

神社の解説板

▲神社の解説板には、暴風雨が鎮まってから上陸したのが当地だったという由緒が記されています。

その後、流れ着いた妻の遺品を集め埋葬して祀った。こうした縁起のある神社は関東地方などにかなりあり、吾嬬神社もその1つなのです。今では全然ピンときませんが、北十間川は古代や中世では海岸線だったようです。海沿いに浮島のように建っている神社。そんな姿を思い浮かべると、東京湾のはるか先、横須賀辺りの出来事とのつながりが実感できるかもしれません。

福神橋から西方の眺め

▲福神橋から西方の眺めです。北十間川の南側(写真の向かって左側)が一面の海だった姿を思い浮かべると、吾嬬神社がある今の場所のイメージも一変するような気がします。

「私の妻=橘姫(たちばなひめ)」が、いくつもの地名となった

ところで、吾嬬神社がある場所の地名は「立花」。かなり広いエリアです。もうお分かりだと思いますが、[弟橘(おとたちばな) → 橘(たちばな) → 立花]のように、弟橘姫の名がルーツなのです。

1889年から1966年まで周辺のかつての地名は、「吾嬬(あづま)」(1924年に村から町へ)でした。「吾嬬(あづま)はや」(=ああ、我が妻よ!)~後日、妻の死をしみじみと悼んだ日本武尊の嘆きの言葉が、神社の名となり、そして周辺の地名にもなったわけです。当時の吾嬬町は、現在の八広・東墨田・立花・文花の各全域、そして京島と押上の各一部。そんな、とてつもなく広大なエリアだったのです。

住居表示実施の際、「嬬」や「橘」の字が当用漢字になかったため、今の立花エリアは先ほどのように。また、今の文花エリアは文教施設が集中していたことから、「文」教と立「花」の1文字ずつで「文化の花が開く」意味も込めた地名となりました。

そして、旧・吾嬬町エリアではありませんが、「吾妻橋」の地名もあります。江戸時代に隅田川に架けられた最後の橋。吾嬬神社への参道でもあることから、地元では通称「吾妻橋」と呼ばれました。明治になって架け替えられた橋は、正式名称も吾妻橋に。関東大震災後には初めて町名にもなって、今に続いています。(江戸の「東」方だから[あず(づ)ま → 吾妻」という説もあります)

今の地名だけではなく、吾嬬神社をベースに古代史のヒーロー夫婦が取り持つ、「あずま」・「吾嬬」・「橘」の名残り。立花や文花の中そして八広や京島のエリアでも、駅、学校、公園、公共施設などであちこちにまだ見られます。ズバリ名「橘高校」、ダブル名「立花吾嬬の森小学校」や「吾嬬立花中学校」だってあるのです。

吾嬬立花中学校

▲こちらは「吾嬬立花中学校」。旧・吾嬬第一中学校と旧・立花中学校が2014年4月に統合し、その後2019年9月にこの新校舎に移転しました。

そろそろ夕暮れ時。気持ちよくさんぽを続けたので、お腹もかなりすきました。近くで夕食を兼ねた晩酌にしようと思います。

地元特化の肉食系3店。その三男坊がこちら

やってきたのは「うず食堂」。東武亀戸線「小村井」駅のすぐ近くにあります。

うず食堂

▲駅の改札口から1分もかからない便利な場所。シンプルなペイント看板や横文字のノレンが今どきですね。近くにあったビストロのコンセプトを変えて移転オープンしてから、4年が経ちました。

肉料理中心ですが、カレー系やラーメン系のメニューも展開。お寿司が提供される(曜日など限定)ことだって。定食やお酒のメニューも充実。〝お酒も楽しめる下町の大衆食堂〟なんですね。

うず食堂

▲入口からすぐにテーブル席が並びます。メニューの横に置かれたタブレット端末で注文するシステムです。その先にはキッチンと対面してカウンター席が。さらに奥には6人入れる座敷(掘りごたつ式)が幾つかあり、外観よりも豊富な収容人員となっています。

自家製レモンサワー

▲自家製レモンサワー(税込〈以下同〉528円)は、濃厚な甘みが肉料理にぴったり! お店オリジナルのジョッキで提供されます。

燻製ポテトサラダ

▲燻製ポテトサラダ(418円)。刺さっているものは小さなスポイト(使い捨て)で、中にはタバスコが。途中でかけてみたら香ばしさに辛味が参加。思いがけない〝味変〟が楽しめました。

鬼チーズバーグ

▲このお店に来たら、やっぱり肉料理は欠かせないでしょう。野村店長と田方料理長のおススメで「鬼チーズバーグ」(1,118円)に。ダブルトッピングのチーズが、とても濃厚な味わいでした。

このお店、UZU(うず)のネーミングで3店舗を展開する肉料理飲食店グループの1つです。錦糸町には熟成肉とワインのお店が。曳舟のお店は、進化系本格ハンバーガーショップです。そして、小村井に開店したのがこちら。墨田区に根ざした元気と活気に、さんぽの疲れも癒されました。

花風

今日のさんぽ を振り返って

日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘姫(おとたちばなひめ)。悲劇的とはいえ深い夫婦愛のエピソードは、よく知られていると思います。そして、すみだの地でも広大なエリアで、(意外な印象があるかもしれませんが)その故事に基づいた地名やスポット名が今でも見られる。そんなことを再発見でき、なかなかためになりました。

余談ですが、「愛妻の日」ってご存じですか。毎年1月31日。1月の「1」がアルファベット「I」(アイ)に似ているので、[131 → I31 → アイ・サイ → 愛妻]なのだそう。私も将来結婚するとしたら、毎年この日を意識してくれるようなダンナ様がいいかも。では、皆さんまたお会いしましょうね・・・。

【お店情報】
船橋屋 亀戸天神前本店
東京都江東区亀戸3-2-14
TEL:03-3681-2784
営業時間
(テイクアウト) 9:00~18:00
(イートイン) 11:00~17:00(L.O.)

うず食堂
東京都墨田区文花2-10-2ロイヤルコーポ浅野101
TEL:080-7600-0703
営業時間
(月曜・水曜~金曜)17:00~25:00(L.O. 24:00)
(土曜・日曜)   16:00~25:00(L.O. 24:00)
定休日:火曜
※営業時間・定休日は変更となる場合あり。来店前に要電話確認。

【参考】
吾嬬神社
東京都墨田区立花1-1-15