【第16回】まっすぐな川につながる流れなのに・・・。すみだの端っこの「くねくね」とは?

この連載では、すみだのあちこちをさんぽしています。ときには、区内の北や南西の端のほうも訪れました。今日は、東の端からスタートします。

かなり「くねくね」しています

この辺り、江戸川区とは「旧中川」で隔てられて、「荒川」と合流する付近を除いて旧中川が区界です。墨田区側は「旧中川水辺公園」として整備されていますが、流れがかなり「くねくね」しています。

旧中川水辺公園の周辺案内地図

▲旧中川水辺公園の周辺案内地図。向かって左側が北の方位で、荒川の堤防周辺の破線で示された箇所だけ陸地に区界が。それ以外は旧中川が区界です。陸地区界辺りを除けば、地図の真ん中の上部がすみだの東の端っこであることがわかります

まずは、2つのスポットを訪ねます

最初に訪れたのは「立花大正民家園」。広い敷地は庭園で、その中に「旧小山家住宅」が建っています。

旧小山家住宅

▲1917年に建てられた旧小山家住宅。関東大震災や太平洋戦争の空襲なども乗り越えた貴重な建造物(墨田区指定有形文化財)で、立花大正民家園として1999年に開園しました。

旧小山家住宅

▲敷地は庭園として整備され、あちこちに七福神の石像が配置されています。

旧小山家住宅

▲建物内部は、重厚な和風建築の空間となっています。この辺り、以前は「中川」の浸水被害がひどかったこともあり、一部の天井の上には家財や人が避難できるロフトスペースが。小さな舟が置かれた時期もあったそうです。

次に向かったのは、「白髭神社」(立花6丁目)です。

白鬚神社

▲前回【第15回】で訪れた、墨田区内有数の歴史を持つ「白鬚神社」(東向島3丁目)と同じルーツながら、「ひげ」の漢字が「髭」になっている神社が区内に2社あります。そのうちの1社です。

狛犬

▲狛犬の姿をよく見ると、前足の下とお尻の付近に子どもの狛犬が。反対側の狛犬の足元にも2匹の子どもがいました! 優しげでユーモラスな親の狛犬たちでした。

いよいよ「くねくね」を実感

それでは、旧中川水辺公園を南(下流)から北(上流)に向かって、のんびりと歩いてみましょう。

旧中川水辺公園

▲先ほどの周辺案内地図の真ん中の上部付近。川沿いの通路の曲がり具合からも、川の流れが大きく曲がっていることを実感! 写真右下の水辺には、シラサギ(チュウサギ)の姿が見えます。

上流のほうに進むと、空間がぐっと広がって水辺が目線に近づくように感じます。下の写真の上部(さらに上流)で、流れが右のほう(東側)に大きく曲がっている様子がお分かりになりますか。

旧中川水辺公園

▲写真の右下では、カルガモが水辺の石の上で休んでいます。川の周囲には、さまざまなサギやカモ、カワウなどなど。水辺に集まるたくさんの野鳥たちの姿を、とても身近に見ることができます。

旧中川水辺公園

▲公園の上流側の終点近く。持参した飲み物でひと休みしました。高層マンション・東京スカイツリー・墨田清掃工場の煙突。みんなで〝背比べ〟でもしているかのよう。

旧中川

▲旧中川は、北端で荒川とつながっています。写真の「木下川(きねがわ)水門」は、大雨などで大量の水が荒川から旧中川に流入することを防ぎます。

歩くにつれてその姿や様子をどんどん変えていく旧中川。水辺公園では、野鳥だけでなく水際にはたくさんの魚が泳ぐ姿も見えました。そして、桜やアジサイなど樹木も豊富。季節の移り変わりも楽しめる、素敵な空間であることを実感できました。

こちらの「白髭神社」の謎とは?

旧中川と別れて、荒川の堤防沿いの道路を北西(荒川の上流側)に進むと、もう1つの「白髭神社」(東墨田3丁目)の鳥居が見えてきました。

白髭神社

▲鳥居の奥には、いきなり本殿の後ろ姿が見えます。何かの事情からか、通常の参道とはかなり様子が違います。

白髭神社

▲左側の狛犬の右手そして右側の狛犬の左手に、それぞれ横長の黒い石碑が見えるでしょうか。後ほどお見せしますが、右側の石碑にこの神社の謎が記されています。

結論を先にいいますと、この神社はもともと今の場所にあったわけではありません。では、どちらに? 神社のすぐ横の堤防に上がって、荒川の様子を見てみましょう。

荒川

▲写真右側に白く見えるのは、首都高速・中央環状線の高架。高架の下に向かうように荒川に架かっているのが「木根川(きねがわ)橋」。その下には、京成線の鉄橋がかすかに見えます。

答えは、この写真の真ん中辺り。今では荒川が滔々と流れています。「えっ」と思われたかも。白髭神社に戻って、先ほどの黒い石碑をよく見てみましょう。

荒川

▲今では「荒川」といわれていますが、もともとの名は「荒川放水路」。つまり、大雨などで大量の水が流入して堤防決壊等する洪水被害を防ぐために作られた人工の水路だったのです。

かつての木下川集落の鎮守「木下川薬師(浄光寺)」に寄り添うようにあったのが「白髭神社」。荒川放水路を開削するために木下川薬師は葛飾区側へ、そして白髭神社は墨田区側へとそれぞれ移転し、離れ離れになりました。(その後、葛飾区側で関連する名の多くは、「木下川」から「木根川」に改められたようです)

「荒川放水路」とは?

周辺がこのように大きく変化した〝ビフォーアフター〟について、今昔の地図を対比して見てみましょう。

今昔の地図を対比

▲左側の地図(1909年時点)では、何と旧中川が葛飾区側の中川とくっ付いて一体となっています。今の荒川は、影も形もなしです。

左側の地図の中川のうち右側(東側)向きに大きく湾曲している箇所、その近くにあった下木下川集落、そして少し離れた木下川薬師(浄光寺)。右側の地図を見ると、荒川やその河川敷・堤防になって消え去ったことがわかります。

「まっすぐ」な荒川から「くねくね」した旧中川が分岐しているわけではない。先にあった「くねくね」を、後から人工的に作られた「まっすぐ」が分断した。そんな順番だったのです。

ここで、荒川放水路が作られた背景や理由について、簡単にまとめてみました。
(1)荒川放水路が作られる前は、今の隅田川流域で洪水が発生することは珍しくなかった。
(2)明治維新後、隅田川流域は工場地帯として発展。多くの人々が働き住む市街地として日本の近代化を牽引していたが、1907年や1910年に大洪水で甚大な被害を受けた。
(3)そこで、大洪水を発生させるクラスの水流量の8割をバイパスできるような人工水路の開削を国家プロジェクトとして計画。用地買収や移転協議を経て1913年に工事開始し、1930年に竣工。その後もさまざまな改修・改良を経て今日に至る。(今の隅田川は、法律上ずっと「荒川」でした。荒川放水路が「荒川」となったのは、1965年のことです)
 [参考資料]
  国土交通省関東地方整備局 荒川下流河川事務所「荒川放水路の変遷」
  https://www.ktr.mlit.go.jp/arage/arage00026.html

永井荷風さんも見た荒川放水路

永井荷風さんの随筆作品に『放水路』(1936年)があります。短いものですが、荒川放水路のことがさまざまに語られています。

明治期の近代化・工業化を経て、また関東大震災(1923年)で大被害を受けるなど、隅田川の両岸もかつての姿や風情が失われていきました。こうした変容を嫌った荷風さん。「やむことをえず、わたくしはこれに代るところを荒川放水路の堤に求めて、折々杖を曳くのである」と述懐しています。

1914年秋に寺社巡りの際、茶屋に立ち寄った荷風さん。荒川放水路の工事で来春には周辺の桜がもう見られないと知らされます。そして1932年1月。十五夜の黄昏時に荒川放水路の堤を上流からそぞろ歩いて「四木橋」の手前辺りから堤を下りて向かったのは、初めて訪れる「玉の井」。代表小説『濹東綺譚』が生まれる端緒となりました。

「放水路の眺望が限りもなくわたくしを喜ばせるのは、蘆荻と雑草と空の外、何物をも見ぬことである。殆ど人に逢わぬことである。平素市中の百貨店や停車場などで、疲れもせず我先きにと先を争っている喧騒な優越人種に逢わぬことである」

ときには、さまざまな人間関係や喧騒から逃れて、心を無にぼうっとしていたい。随筆の中での言葉遣いは古いですが、荷風さんの思いは今でもとても共感できるような気がします。

さんぽのシメも「移転」に関係したところ

今日のフィナーレは、日本料理の「勇魚(いさな)」で。荒川から南側に少し歩いたところにあります。

勇魚(いさな)

▲場所は、八広駅から少し歩いた「八広はなみずき通り」に面しています。紀州では古来より漁師がクジラのことを畏敬の念を込めて「勇魚(いさな)」と呼ぶそう。ご店主は紀州出身ではありませんが、気に入ったこの言葉を店名にされたわけです。

勇魚(いさな)

▲店内に入ると4人掛けのテーブル席が2つ続きます。テーブル席の反対側にカウンター席、その先にキッチンが。店内の奥には座敷席もあります。

まずは生ビール(550円)で喉をうるおして、今日のさんぽにお疲れさま!

肉じゃが

▲上品に盛られたお通しの肉じゃが。おいしそうです。

帆立貝柱刺身

▲まずは、帆立貝柱刺身(800円)をオーダー。輸出関係で影響を受けているようなので、ささやかな応援のつもりです。

レモンハイ

▲2杯目は、レモンハイ(450円)にしました。

穴子と野菜天ぷら

▲仕上げは、穴子と野菜天ぷら(1,000円)。穴子とともに、いろいろな種類の野菜が。揚げたてのてんぷらは、格別の味でした。

ご店主ご夫婦にお聞きすると、こちらのお店は創業26年を迎えるそうです。ただし、今の場所では13年くらい。その前は、すぐ近くの「ゆりのき橋通り」に面したところにあったとのこと。

移転したワケは、道路拡幅のための立ち退き。昼間訪れた荒川の放水路関係と似たシチュエーションだったことに、さんぽでの不思議な縁を感じました。

花風

今日のさんぽ を振り返って

前回【第15回】の〝宿題〟でもあったので、今日は「白髭神社」2社などを巡りました。「くねくね」した旧中川沿いの水辺空間は、いろいろな野鳥や草花・樹木も豊富で、水際には魚の姿もたくさん見られたし。とても楽しくて充実したひと時でした。

そして、荒川沿いの「白髭神社」で初めて学んだこと。大規模水害を防ごうとする一大国家プロジェクトが、多くの人々の努力で成し遂げられた。一方でそのために、住み慣れた集落や地元で長年親しまれた寺社など〝人の営み〟が犠牲になった。今の安全な水辺が当たり前にあるわけではなく、こうした歴史や経過に対して感謝の気持ちを忘れないようにしたいです。では、皆さんまたお会いしましょうね・・・。

【お店情報】
※営業時間・定休日は変更となる場合あり。来店前に電話確認してください。
立花大正民家園・旧小山家住宅
東京都墨田区立花6-13-17
TEL:03-5619-7034(すみだ郷土文化資料館)
営業時間:庭園9:00〜16:30、住宅内12:30〜16:30
定休日:年末年始(12月29日〜1月3日)
※見学は無料

勇魚(いさな)
東京都墨田区八広4-38-9
TEL:03-3618-7739
営業時間:17:30〜22:00頃
定休日:月曜

【参考】
白髭神社
東京都墨田区立花6-19-17

墨田区立旧中川水辺公園
東京都墨田区東墨田1丁目・3丁目、立花3丁目・5丁目・6丁目
※河川を挟んで南側に、江東区立旧中川水辺公園(東京都江東区亀戸8丁目)もあります。

白髭神社
東京都墨田区東墨田3-13-24