【第13回】「文豪」だって人間だから・・・。仲の悪い2人につながる「すみだっ子」とは?

「文豪」といわれる人だって人間だし、みんなが必ずしも仲良しとは限らない。『文豪たちの悪口本』(彩図社文芸部編 彩図社刊)という本を読んで、そんなことを考えさせられました。今回のさんぽのきっかけも、その本で紹介されていた2人の文豪の〝いがみ合い〟のエピソードです。

相手を攻撃するツールは、自分の作品たち

その2人とは、永井荷風と菊池寛です。

永井荷風

▲永井荷風(1879〜1959)。国立国会図書館サイト「近代 日本人の肖像」から引用(元出典は、『永井荷風集』河出書房 1952)。マイペースなひとり暮らしを長年続けた荷風さんは、社交的でなく人間嫌いなイメージがあり、晩年になるほどそうした印象が強まっていくようです。

菊池寛は『父帰る』、『恩讐の彼方に』などで有名な作家。と同時に文藝春秋社を創設した実業家でもあります。(会社名はその後変遷しますが、以下では「文藝春秋社」と総称)

菊池寛

▲菊池寛(1888〜1948)。引用先は永井荷風と同じ(元出典は、『菊池寛文学全集 第10巻』文藝春秋社 1960)。文藝春秋社が長年続ける「芥川賞」や「直木賞」は、ともに早世した友人それぞれにちなんで新人作家を顕彰するため、1935年に菊池が始めたものです。

永井・菊池の対立のきっかけは、菊池の遠祖に連なる人物の名を荷風さんが「菊地」(「池」を「地」と誤記)と表記したことがきっかけのようです。この誤記を菊池が、自らの「文藝春秋」で皮肉たっぷりに指摘しました。

すると荷風さんは、その代表作日記文学の『断腸亭日乗』で菊池や「文藝春秋」に対する批判を長年折々に続けて対抗。1925年11月には、執筆依頼にきた文藝春秋社の記者を追い返したくだりも残っています。

また、代表作小説『濹東綺譚』の中でも「・・・『文芸春秋』という雑誌は、世に「生存させて置いてはならない」人間としてわたくしを攻撃した。・・・」以下延々とかなり過激な言葉で主人公の男性に批判を語らせています。永井・菊池の対立を意識すると、かなり注目される一節かもしれません。

対立する2人につながるのは、この人

対立する2人それぞれにつながってくる「すみだっ子」。それは、半藤一利(1930〜2021)です。日本の近現代史、特に昭和史に関する造詣が深く、「歴史探偵」を自認して関連著書も多数ある作家・編集者。太平洋戦争が終戦に至る最後の1日を描いた映画『日本のいちばん長い日』の原作者でもあります。

実はこの人、大学を卒業し1953年4月に就職した先が文藝春秋社(当時、菊池寛は既に死去)。そして、1959年4月に創刊されたばかりの「週刊文春」の記者としてのスクープ。永井荷風さんが孤独死した同年4月30日に市川・八幡の自宅にいち早く乗り込んで、遺体の状況や納棺される様子などを克明に伝えました。また、荷風さんへの親愛が感じられる著書も残しています。

文筆家としての印象が強いように思われますが、文藝春秋社では編集系や出版系の要職など経営の一端も担って専務取締役まで務めています。ある意味「二刀流」の先駆けかもしれません。

墨堤をそぞろ歩いて北上します

前置きが長くなりましたが、まずは「隅田公園」の墨田区側の南端あたりにやってきました。川に近い一角に、こんな石碑を発見。

隅田川ボート記念碑

▲「漕」の字を大きく掲げた「隅田川ボート記念碑」。碑の建設委員会会長として、半藤一利の名が刻まれています。ここでの「ボート」は、人が漕ぐ漕艇によるボート競技(レガッタ=イタリア語「レガート」に由来)を意味します。

明治天皇海軍漕艇展覧玉座阯

▲隣接して「明治天皇海軍漕艇展覧玉座阯」の碑もあります。明治天皇は、現地で4回も海軍のレースを展(天)覧したようです。

日本でのレガッタ発祥の地は隅田川で、その歴史は1883年まで遡ります。「♪春のうららの 隅田川♪」〜多くの人から親しまれている唱歌「花」は、こう続きます。「♪のぼりくだりの船人が 櫂(かい)のしづくも 花と散る♪」。これって、まさにレガッタの様子なのです。この名曲が誕生したのが1900年。往時の賑わいぶりが偲ばれますね。

「隅田川ボート記念碑」の裏側

▲「隅田川ボート記念碑」の裏側には、1954年ケンブリッジ大学招待レースの様子の写真が。写真下側の言問橋に、大勢の見物客が見えます。写真右側の墨堤には高速道路の高架もまだなく、弘福寺の本堂らしき建物の姿も確認できます。

旧・吾嬬町の一角(現・八広3丁目)で1930年に生まれた半藤一利。実家は太平洋戦争の東京大空襲(1945年3月10日)で焼けて、本人も逃げまどって中川で漂流して死にかけます。茨城県や新潟県に疎開して、15歳で終戦を迎えます。戦後、東京大学に入学してボート部入り。主力の1人として(上の写真のほんの少し前の時期に)隅田川で活躍していました。

隅田公園を川沿いにそぞろ歩いて北上します。

レガッタをモチーフにしたタイル絵

▲桜橋近くの高速道路高架下には、レガッタをモチーフにしたタイル絵が敷き詰められていました。

和スイーツでひと休み

そろそろ、ひと休みにしましょう。向かったのは「言問団子」。この連載【第7回】で訪れたすぐ近くの「長命寺桜もち」(山本や)と共に、墨堤の代表的な和スイーツのスポットです。この辺りから上流にかけての墨堤にかつては、レガッタの拠点である艇庫が広がっていました。

「隅田川ボート記念碑」隣の解説板の裏側

▲「隅田川ボート記念碑」隣の解説板の裏側には、こんな解説地図も。(言問団子)のすぐ北側に東京大学と一橋大学の艇庫があり、少し上流の○向島艇庫村にはたくさんの学校の艇庫が集中。東京経済大学の艇庫だけ(大倉別邸)側にあるのは、同校の前身が大倉財閥創立の「大倉高等商業学校」だったからでしょう。

言問団子

▲「言問団子」の由来となった和歌(在原業平作、エンジ色地の文字看板の左側部分)に登場する「都鳥」とは、ユリカモメ(東京都「都民の鳥」)のことです。

言問団子

▲シンプルで落ち着いた雰囲気の店内。写真左側、篆書体の文字は右から左に「言問団子」です。

「召上り」(三色団子とお茶のセット、780円)

▲「召上り」(三色団子とお茶のセット、780円)。小豆・白・みその各餡はどれも甘過ぎず、上品な味わいが渋めのお茶とよく合います。

都鳥

▲完食するとお皿には、何とも愛らしい「都鳥」の姿と「ことゝい」の字があらわれます。

隅田川を離れて八広へと

名物の和スイーツで元気満タン! ここで隅田川から離れ、ほぼ真東の方向を目指します。しばらく進むと、曳舟川通りの東側・明治通りの北側には「八広」のエリアが広がっています。八広中央通りから東に少し入った一角にあったのは「三輪里稲荷神社」(通称・こんにゃく稲荷)です。

三輪里稲荷神社

▲半藤一利は、この神社のすぐ近くで生まれました。少年時代に地元のガキ大将だった半藤は、「こんにゃく稲荷の境内はいわばわが城下であった」と回想しています。

三輪里稲荷神社

▲境内の案内板には、神社の縁起とその通称の由来が解説されています。

半藤の著書群の中には、少年時代のすみだの地あちこちでの回想が見られます。そして、東京大学ボート部時代のエピソードもたくさん。まさに「すみだっ子」であり、隅田川でのレガッタ経験が人生の大きなバックボーンとなったことが偲ばれます。

広い八広エリアを北上したら、本日のゴール

今日も、たくさん歩きました。帰りは八広駅から京成線に乗って帰宅するので北に向かいますが、地名はずっと「八広」が続きます。ちなみに墨田区には26の町名がありますが、その中で面積が広いベスト3は「墨田」・「八広」・「東向島」。この3つだけで区の面積の4分の1を占めます。
やってきたのは、八広駅近くの「日の丸酒場」。

日の丸酒場

▲写真の右上部に京成線の高架が見えます。今宵はノレンが逆向きに掛けられているよう。

日の丸酒場

▲家族経営の居酒屋。昭和レトロの雰囲気に満ちた店内では、男性兄弟が調理や接客を手際よくこなしています。
建物はもちろん建て替わっていますが、1937年創業という超老舗です。店名「日の丸」の由来は、創業者が旧陸軍の近衛連隊に在籍したことがあったから。そんな話を耳にしたことがあります。

下町居酒屋定番の焼酎ハイボール

▲「酎ハイ」とか「ボール」と愛称される、下町居酒屋定番の焼酎ハイボール(330円)。勢いよく注いでいるのに、表面張力ギリギリのところで完成。店員さんの名人技を見てください!

トマト

▲トマト(260円)。〝マヨラー〟の私が店員さんにお願いしたら、マヨネーズをサービスでチューブからお皿に絞ってくれました。

串かつ

▲串かつ(360円)。アツアツにソースをかけて辛子をつけながらいただきます。

ビーフシチュー

▲意外性のあるメニュー(?)がビーフシチュー(660円)。お店でも最高価格帯のつまみです。お肉もゴロゴロと入っていて味もしっかり。

つまみもお酒も、サイフにやさしい価格帯。そして、男性店員の方々は一見いかつい雰囲気(ごめんなさい!)ですが、実は親切でユーモアもあります。心地よい時間を過ごせて、大満足でお店をあとにしました。

花風

今日のさんぽ を振り返って

今日は、仲の悪かった2人の文豪につながるすみだっ子で、隅田川レガッタでも活躍した半藤一利の足跡を中心にさんぽしました。

隅田川の水質悪化などにより、レガッタの拠点はずいぶん昔に埼玉県の戸田に移りました。各校の艇庫が隅田川沿いに立ち並んだのも今は昔です。しかし隅田川での定期戦も複数復活していて、今年・2023年4月の「早慶レガッタ」は4年ぶりに有観客で開催されています。

また、コロナ禍で中止が続いた「隅田川花火大会」も先般7月29日、4年ぶりに開催され大勢の観客で盛り上がりました。いろいろとすみだの水辺に賑わいが戻ってきたことは、嬉しいことです。では、皆さんまたお会いしましょうね・・・。

【お店情報】
※営業時間・定休日は変更となる場合あり。来店前に電話確認してください。
向島 言問団子
東京都墨田区向島5-5-22
TEL:03-3622-0081
営業時間:9:00〜17:00
※販売する商品がなくなった場合、早く閉店する場合あり
定休日:火曜

日の丸酒場
東京都墨田区八広6-25-2
TEL:03-3612-6926
営業時間:17:00〜23:30
定休日:不定休

【参考】
隅田公園内「隅田川ボート記念碑」・「明治天皇海軍漕艇展覧玉座阯」
東京都墨田区向島1

三輪里稲荷神社
東京都墨田区八広3-6-13